2012年04月20日
うりずん。そして番組。
うりずんの頃。
工房の玄関横に茂る月桃が、
花を咲かせ始めました。
今日は雨に濡れ、
滴がうるうる輝いています。
そうしてあさってには、
下記番組が放送予定です。
丸3日かけ、
とても丁寧に撮っていらっしゃいました。
番組情報は、こちらです。
↓
ウチナー紀聞(琉球放送RBC 毎週日曜日 11時放送)
ご覧になれる環境にある方は、
ぜひ。
2012年04月02日
石碑にこめられた、沖縄の輝き * その①
工房の昼休みが終わるころ、
「碑があるはずだから観にいきましょう」と、健次郎さん。

工房から少しくだったところ、
その筋道をぐねぐねと進んだ先に、
こんもりとした丘があり、
そこが公園となっていました。
そうして、虎瀬公園(とらせこうえん)と呼ばれるこの場所に
のびやかに葉をのばすオオタニワタリに囲まれて、
その碑はありました。

碑の表に書かれていたのは、
一篇の詩。

惣之助とは、
詩人であり、
晩年には「人生劇場」や「六甲おろし」などの作詞もてがけた佐藤惣之助(1890‐1942)のこと。
この詩は、
彼が沖縄を旅したときの印象を記した「琉球諸島風物詩集」のなかの一篇の一部とのこと。
そして石碑の裏には、
この碑が建てられた背景が、
陶芸家の浜田庄司(1894‐1978)の名とともに記されていました。

以下は、
碑に記されていた全文です。
詩人佐藤惣之助は神奈川県川崎市の出身で大正十一年南島各地を●遊の後琉球諸島風物詩集を著わし異色ある作品として詩壇に名声(声は旧字)を博した / またしばしば随筆により南島の風物を紹介するなどこの地に愛着を抱くことほとんど郷土に対する以上のものがあったが昭和十七年五月十五日不帰の客となった
沖縄に親愛の情を●●る川崎市民は惣之助の記念としてまた一つには沖縄と川崎とを結ぶ交情の絆としてこの詩碑を沖縄の人々に贈● / 特にこれを陶碑として浜田庄司氏に嘱し壺屋の窯で製作したのは 氏が同じ川崎市の出身でありかつはつとに沖縄陶芸(芸は旧字)の眞価(旧字)を認めその伝(旧字)統の維持と紹介に尽力されてきた縁による / 昭和丗十四年五月十五日
古江亮仁誌す
(注:文中の●印は、判読できなかった文字です)
なお、これを記した古江亮仁氏(1915-2001)は、
その土地に息づく古民家を残すことに尽力した、
川崎市立日本民家園の初代園長である方。

そして佐藤惣之助氏、
それからこの碑文の文字が、
描かれたタイルを焼いた浜田庄司氏、
この文章を記した古江亮仁氏の三氏は、
いずれも神奈川県の川崎市出身なのです。
川崎といえば、
沖縄とのその縁は“江戸上り”にまでさかのぼる、
沖縄とはゆかりの深い地。
川崎駅前には、石敢當が置かれているそうですし、
川崎沖縄芸能研究会の沖縄民俗芸能は、
神奈川県指定無形民俗文化財に指定されています。
なお碑文の文章を記した古江氏は、
川崎における沖縄民俗芸能の復活、
さらには川崎の無形民俗文化財指定に尽力した人物でもあるそうです。
大正11年の沖縄を旅した佐藤惣之助、
大正13年にイギリスから帰国し沖縄に滞在した浜田庄司、
そして沖縄芸能に魅了された古江亮仁。
この石碑には、県外出身者である3名がみつけてくれた、
沖縄の輝きとそれに対する感動が閉じ込められているのではなかろうかと思うのです。
つづく
「碑があるはずだから観にいきましょう」と、健次郎さん。

工房から少しくだったところ、
その筋道をぐねぐねと進んだ先に、
こんもりとした丘があり、
そこが公園となっていました。
そうして、虎瀬公園(とらせこうえん)と呼ばれるこの場所に
のびやかに葉をのばすオオタニワタリに囲まれて、
その碑はありました。

碑の表に書かれていたのは、
一篇の詩。

惣之助とは、
詩人であり、
晩年には「人生劇場」や「六甲おろし」などの作詞もてがけた佐藤惣之助(1890‐1942)のこと。
この詩は、
彼が沖縄を旅したときの印象を記した「琉球諸島風物詩集」のなかの一篇の一部とのこと。
そして石碑の裏には、
この碑が建てられた背景が、
陶芸家の浜田庄司(1894‐1978)の名とともに記されていました。

以下は、
碑に記されていた全文です。
詩人佐藤惣之助は神奈川県川崎市の出身で大正十一年南島各地を●遊の後琉球諸島風物詩集を著わし異色ある作品として詩壇に名声(声は旧字)を博した / またしばしば随筆により南島の風物を紹介するなどこの地に愛着を抱くことほとんど郷土に対する以上のものがあったが昭和十七年五月十五日不帰の客となった
沖縄に親愛の情を●●る川崎市民は惣之助の記念としてまた一つには沖縄と川崎とを結ぶ交情の絆としてこの詩碑を沖縄の人々に贈● / 特にこれを陶碑として浜田庄司氏に嘱し壺屋の窯で製作したのは 氏が同じ川崎市の出身でありかつはつとに沖縄陶芸(芸は旧字)の眞価(旧字)を認めその伝(旧字)統の維持と紹介に尽力されてきた縁による / 昭和丗十四年五月十五日
古江亮仁誌す
(注:文中の●印は、判読できなかった文字です)
なお、これを記した古江亮仁氏(1915-2001)は、
その土地に息づく古民家を残すことに尽力した、
川崎市立日本民家園の初代園長である方。

そして佐藤惣之助氏、
それからこの碑文の文字が、
描かれたタイルを焼いた浜田庄司氏、
この文章を記した古江亮仁氏の三氏は、
いずれも神奈川県の川崎市出身なのです。
川崎といえば、
沖縄とのその縁は“江戸上り”にまでさかのぼる、
沖縄とはゆかりの深い地。
川崎駅前には、石敢當が置かれているそうですし、
川崎沖縄芸能研究会の沖縄民俗芸能は、
神奈川県指定無形民俗文化財に指定されています。
なお碑文の文章を記した古江氏は、
川崎における沖縄民俗芸能の復活、
さらには川崎の無形民俗文化財指定に尽力した人物でもあるそうです。
大正11年の沖縄を旅した佐藤惣之助、
大正13年にイギリスから帰国し沖縄に滞在した浜田庄司、
そして沖縄芸能に魅了された古江亮仁。
この石碑には、県外出身者である3名がみつけてくれた、
沖縄の輝きとそれに対する感動が閉じ込められているのではなかろうかと思うのです。
つづく
2012年04月02日
石碑にこめられた、沖縄の輝き * その②

↑ 佐藤惣之助の詩が記された、虎瀬公園にある碑
ところで、
先に紹介した石碑に記された詩のなかに、
“虚ろ”とあり、
わたしはそれを空虚ととらえたのですが、
健次郎さんが“この虚ろは空虚の虚とは違うと思うよ”と。

↑虎瀬公園内にある案内板に載せられている写真
そう言った健次郎さんのまなざしは、
幼いころに暮らした、
那覇の、戦前の風景を望んでいるかのようでもあり。
話しはかわり、
いまをさかのぼること50年ほどまえのことですから、
沖縄が日本に復帰する前後のこととなるのでしょうか。
健次郎さんのお父さん、
又吉誠睦氏(6代目)は、
壺屋の入口に小さな工房を構えていたそうです。
そして、すっかり洋服が主流となったこの時代、
誠睦氏は米兵からのリクエストで、
プラスチック製の歯ブラシをダイヤモンドカットしたものを埋め込んだ指輪などを作り、
家族を養っていたときのこと。
そんなある日。
工房から漏れ聞こえる槌音に誘われやってきたのが、
浜田庄司氏だったのです。
そしてこのときの浜田氏との出会いは、
誠睦氏に、
槌を握る情熱とプライドとを再燃させることとなるのです。
それぞれの時代を懸命に生きた。
だからこそ繋がり、
いまがある。
そんなことを、思いました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
*本文に載せさせていただいた、
昔の首里の写真が載せられていた石碑(案内板)に記されていた、
虎瀬山に関する紹介文は、以下の通りです。
↓
虎瀬山(トゥラジヤマ)
首里城の北北東、首里赤平町の北沿いに延びる標高約130mの琉球石灰岩の丘陵。頂上の岩石が虎の頭に見えたことから虎頭山、虎山とも表記され、遠くに海を見渡せる景勝の地として知られる。
琉球王国時代、松の生い茂る虎瀬山には「虎瀬ヌ御殿」と呼ばれる小規模な別邸(創建年不明)が造られ、王家の遊覧地となっていた。虎瀬山の景観は「首里八景」の一つとして「虎山松涛と謳われ、「松」・「月」を歌題に虎瀬山を謳った詩歌が多く残された。
廃藩置県(1879年)の後、「虎瀬ヌ御殿」は廃され、沖縄戦(1945年)で虎瀬山の松林も焼失した。戦後丘陵の東側および周縁部は削られ宅地化されたが、1982年(昭和57)に頂上一帯が整備され「虎瀬公園」となった。
園内に建てられている歌人佐藤惣之助の歌碑は、1959年(昭和34)琉球大学敷地内(現首里城)に設置されたが、首里城復元にともない1992年(平成4)この地に移設された
2012年03月09日
2012年02月06日
南の島から、北国への便り。
南の島のここ首里にある工房には、
地球の東西南北から多くの方々が訪ねてきてくださり、
すてきな風を吹きこんでくださいます。
旅せずとも、
旅をする、そんな心地になることもしばしば。
ありがたいことです。
そしていくらか前のことなのですが、
北海道は旭川から、若いご夫妻が訪ねていらっしゃいました。
ちなみに今日(2月6日)の首里はあたたかな雨が降り、
気温は23℃。
赤瓦屋根の家々もまじる住宅街の庭先には、
沖縄の冬の終わりを彩る緋寒桜が咲き、
青々とした月桃の葉が気持ちよさそうに雨に濡れています。

そうして気象庁のサイトをひらくと、
北海道の旭川は今日のこのおなじとき天気は曇りのち雪で、
予想最高気温は3℃とのこと。
一面の銀世界。
その差、20℃・・・。
冷凍庫のなかに手をいれてみたり、
あれこれ想像しようとしてみても、
沖縄で暮らす我々には、
寒さや雪の苦労は、どうしたってきっと想像が及んでいないと思うのです。
旭川からいらした菜穂子さんは、ご主人と、
それからポタラというフクロモモンガと旅をしていました。
小さなポタラは、
菜穂子さんがいつも首からさげているやわらかな、
そしてあたたかな袋のなかにはいっていて・・・。

菜穂子さんの胸元の袋からでてきたポタラは、
くりっくりのおめめのかわいらしい子でした。

沖縄の旅のあと、
菜穂子さんはメールで便りをくださいました。
そのやさしい言葉のつらなりに、
工房の者たちはあたたかな気持ちに。
(工房でもとめた銀細工たちが)
北国で風邪をひかぬよう注意が必要かもしれませんね(笑)
菜穂子さんはくださったメールに、
こうも書いていらっしゃいました。
でも大丈夫!
菜穂子さんが大事におもってくださるその想いで、
菜穂子さんのお手元の銀細工たちは今日もあたたかな心地で北国にいる、
そう思います。
ありがとう。
また便りを寄せてくださいね。
そしていつの日かまた、
工房へ遊びにいらしてください。

~ 最後に、ちょっとだけモモンガのお勉強 ~

写真のモモンガは、菜穂子さんのポタラとおなじフクロモモンガです。
カンガルーやコアラと同じ、有袋類なのだそうです。
菜穂子さんのポタラは、タイ生まれ、なのだそう。
以下、ウィキペディアより。
〈フクロモモンガ〉
分布:インドネシア、オーストラリア、パプアニューギニア
体長:16‐21㎝
体重:90‐150g
特徴:展開するとハンカチ大になる飛膜があり、樹木間を滑空する。
生態:夜行性。食性は地方や季節により変化するが、雑食性でアカシアや数種のユーカリの樹液、果汁、花粉、および昆虫類などの節足動物等を食べる。
ちなみに日本には本州、四国、九州にニホンモモンガが分布。ちなみにムササビとモモンガは別です♪
地球の東西南北から多くの方々が訪ねてきてくださり、
すてきな風を吹きこんでくださいます。
旅せずとも、
旅をする、そんな心地になることもしばしば。
ありがたいことです。
そしていくらか前のことなのですが、
北海道は旭川から、若いご夫妻が訪ねていらっしゃいました。
ちなみに今日(2月6日)の首里はあたたかな雨が降り、
気温は23℃。
赤瓦屋根の家々もまじる住宅街の庭先には、
沖縄の冬の終わりを彩る緋寒桜が咲き、
青々とした月桃の葉が気持ちよさそうに雨に濡れています。

そうして気象庁のサイトをひらくと、
北海道の旭川は今日のこのおなじとき天気は曇りのち雪で、
予想最高気温は3℃とのこと。
一面の銀世界。
その差、20℃・・・。
冷凍庫のなかに手をいれてみたり、
あれこれ想像しようとしてみても、
沖縄で暮らす我々には、
寒さや雪の苦労は、どうしたってきっと想像が及んでいないと思うのです。
旭川からいらした菜穂子さんは、ご主人と、
それからポタラというフクロモモンガと旅をしていました。
小さなポタラは、
菜穂子さんがいつも首からさげているやわらかな、
そしてあたたかな袋のなかにはいっていて・・・。

菜穂子さんの胸元の袋からでてきたポタラは、
くりっくりのおめめのかわいらしい子でした。

沖縄の旅のあと、
菜穂子さんはメールで便りをくださいました。
そのやさしい言葉のつらなりに、
工房の者たちはあたたかな気持ちに。
(工房でもとめた銀細工たちが)
北国で風邪をひかぬよう注意が必要かもしれませんね(笑)
菜穂子さんはくださったメールに、
こうも書いていらっしゃいました。
でも大丈夫!
菜穂子さんが大事におもってくださるその想いで、
菜穂子さんのお手元の銀細工たちは今日もあたたかな心地で北国にいる、
そう思います。
ありがとう。
また便りを寄せてくださいね。
そしていつの日かまた、
工房へ遊びにいらしてください。

~ 最後に、ちょっとだけモモンガのお勉強 ~

写真のモモンガは、菜穂子さんのポタラとおなじフクロモモンガです。
カンガルーやコアラと同じ、有袋類なのだそうです。
菜穂子さんのポタラは、タイ生まれ、なのだそう。
以下、ウィキペディアより。
〈フクロモモンガ〉
分布:インドネシア、オーストラリア、パプアニューギニア
体長:16‐21㎝
体重:90‐150g
特徴:展開するとハンカチ大になる飛膜があり、樹木間を滑空する。
生態:夜行性。食性は地方や季節により変化するが、雑食性でアカシアや数種のユーカリの樹液、果汁、花粉、および昆虫類などの節足動物等を食べる。
ちなみに日本には本州、四国、九州にニホンモモンガが分布。ちなみにムササビとモモンガは別です♪
2012年01月30日
風と、火と、水と。
あとふつかを残す1月の末になって、寒緋桜は満開。あたたかい沖縄です。
でも、本土は違います。自然の力と人の営みの、圧倒的な違いが毎日のニュースで報じられています。
今日は、暖を起こす、工房のフーチ(ふいご、吹子)についてお話ししようと思います。


間尺一間半の私の仕事場には、右手に父ゆずりの金槌(かなづち)、金床(かなどこ)、もんめ秤があり、左手にはご先祖(うやふぁーうじ)を象徴しているフイゴが、どっかと鎮座しています。
戦前は正月の二日頃、ハチウクシー(初起こし・仕事初めのこと)としてフイゴ祭りが行われていました。
フイゴ(沖縄語でフーチ、またはフーチヨー、パンチョー)の神様は女性で、だから女が大嫌い。女がそばに来ると、めらめらと嫉妬の炎を燃やし、それが火種になって火を起こしたとか。。笑


フイゴは、縦41㎝、横31㎝、高さ41㎝の箱状の送風機。カメラを内側に向けると、たぬきの皮で包まれた仕切りがみえます。取っ手で、それを押し、戻すことで空気を外に送りだし、火を起こす。シンプルな仕掛けで、ほとんど空っぽです、
蓋の裏には六代目誠睦の琉歌。制作者、川畑照雄。制作1999年5月と、のちのちのために記録されています。
この現存し機能する金細工用のコンパクトなフイゴは、私の知る限りでは、本土はもとより沖縄でも唯一のものかもしれません。王朝時代の、長い歴史の金属文化を語る貴重な存在です。

この〈おもし〉は由来は不明ですが〈たぬき石〉と呼ばれていて、おもえばこの盤石の重みで〈時〉の流れに押し流されることなく、フイゴと金細工を支えてくれたのです。あっぱれです。
フイゴについて、ひらたくまとめますと、大昔からの、銀のかんざし、結びの指輪、房の指輪ほか、金銀の細工物がいっぱい詰められている。今は昔の玉手箱なのです。

風 火 水
銀を溶かし、固め、熱し、冷やし、槌ち、延ばす。このくりかえしこそが父子相伝であり、代々に伝わる心技のリズムです。風を送り、火を起こし、水で冷やすことが金細工のおおもとの仕事であり、歴史的拠り所で、脈々と続けられてきたのです。
ものの本によると「目に見えない気の動きを、目に見える風と水によって判断し、人の営みをととのえた」とのことです。


--------------------------------------------------------------------------------------------------

昨年の暮れ。健次郎さんは新しい年にやりたいこととして、年始に、ふいごで火をおこすこと、をあげました。
ふいごは、健次郎さんが銀を打つ、その背中の向こうの壁際に置かれています。形はほぼ直方体。九州の杉で造られているとのこと。
バケツ2杯分ぐらいだったでしょうか、ふいごの前に設けられた常は使われることのないレンガ囲みのなかに、木炭を詰め足し、健次郎さんはいくらか時間をかけ、手を黒くしながらそれらを並べ、組みなおしました。
そうして炭に火をつけ、側面から突きでている棒をぐっと押しこめると、ふいごのお腹の下にある、すぼめた口みたいな丸い筒から空気がおしだされ、重ね置かれた木炭のなかへと吹きでてきます。と、弱々しかった火に血がめぐり、あたたかに膨れあがり、小さな羽虫のごとく火の粉が舞い飛びました。
この火のなかに、いつか健次郎さんの手によりジーファーになるであろう冷たい銀の棒を置き、ふたたびふいごを動かし空気を送り込むと、今度は火が、巣のように、これを包みこみました。その炎の、あたたかなこと、やわらかなこと。火にくるまれた銀は熱いはずだけれども、心地よさげにみえ。
火のなかの銀をのぞきこむ健次郎さんは、打つときの厳しい表情とはべつの、赤ちゃんをとりあげる助産師のような気配。とりあげた熱せられた銀を、満々と水をはった壺にいれるとジュっと音をたて、白い蒸気がのぼりました。熱し冷まされたこの銀を打ち、形をうみだします。
工房は地球。大気、火、水とともにあり、地球のかけらである鉱物から人が、用のものをつくりだします。
あらたな年の始まりにふいごを動かし、この輪をまのあたりにし、清々しい心地です。
月曜日の昼ご飯係り、はるか
~ 追伸 ~
なお、このあと沖縄は首里にある工房中に舞い降った粉雪のような灰を、お弟子さんたちでせっせと掃除しました。その様子をみていた健次郎さんは、「むかしの工房は、外みたいなもんだったからな」と。来年は、ほっかむりをしようかな。
でも、本土は違います。自然の力と人の営みの、圧倒的な違いが毎日のニュースで報じられています。
今日は、暖を起こす、工房のフーチ(ふいご、吹子)についてお話ししようと思います。


間尺一間半の私の仕事場には、右手に父ゆずりの金槌(かなづち)、金床(かなどこ)、もんめ秤があり、左手にはご先祖(うやふぁーうじ)を象徴しているフイゴが、どっかと鎮座しています。
戦前は正月の二日頃、ハチウクシー(初起こし・仕事初めのこと)としてフイゴ祭りが行われていました。
フイゴ(沖縄語でフーチ、またはフーチヨー、パンチョー)の神様は女性で、だから女が大嫌い。女がそばに来ると、めらめらと嫉妬の炎を燃やし、それが火種になって火を起こしたとか。。笑


フイゴは、縦41㎝、横31㎝、高さ41㎝の箱状の送風機。カメラを内側に向けると、たぬきの皮で包まれた仕切りがみえます。取っ手で、それを押し、戻すことで空気を外に送りだし、火を起こす。シンプルな仕掛けで、ほとんど空っぽです、
蓋の裏には六代目誠睦の琉歌。制作者、川畑照雄。制作1999年5月と、のちのちのために記録されています。
この現存し機能する金細工用のコンパクトなフイゴは、私の知る限りでは、本土はもとより沖縄でも唯一のものかもしれません。王朝時代の、長い歴史の金属文化を語る貴重な存在です。

この〈おもし〉は由来は不明ですが〈たぬき石〉と呼ばれていて、おもえばこの盤石の重みで〈時〉の流れに押し流されることなく、フイゴと金細工を支えてくれたのです。あっぱれです。
フイゴについて、ひらたくまとめますと、大昔からの、銀のかんざし、結びの指輪、房の指輪ほか、金銀の細工物がいっぱい詰められている。今は昔の玉手箱なのです。

風 火 水
銀を溶かし、固め、熱し、冷やし、槌ち、延ばす。このくりかえしこそが父子相伝であり、代々に伝わる心技のリズムです。風を送り、火を起こし、水で冷やすことが金細工のおおもとの仕事であり、歴史的拠り所で、脈々と続けられてきたのです。
ものの本によると「目に見えない気の動きを、目に見える風と水によって判断し、人の営みをととのえた」とのことです。


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昨年の暮れ。健次郎さんは新しい年にやりたいこととして、年始に、ふいごで火をおこすこと、をあげました。
ふいごは、健次郎さんが銀を打つ、その背中の向こうの壁際に置かれています。形はほぼ直方体。九州の杉で造られているとのこと。
バケツ2杯分ぐらいだったでしょうか、ふいごの前に設けられた常は使われることのないレンガ囲みのなかに、木炭を詰め足し、健次郎さんはいくらか時間をかけ、手を黒くしながらそれらを並べ、組みなおしました。
そうして炭に火をつけ、側面から突きでている棒をぐっと押しこめると、ふいごのお腹の下にある、すぼめた口みたいな丸い筒から空気がおしだされ、重ね置かれた木炭のなかへと吹きでてきます。と、弱々しかった火に血がめぐり、あたたかに膨れあがり、小さな羽虫のごとく火の粉が舞い飛びました。
この火のなかに、いつか健次郎さんの手によりジーファーになるであろう冷たい銀の棒を置き、ふたたびふいごを動かし空気を送り込むと、今度は火が、巣のように、これを包みこみました。その炎の、あたたかなこと、やわらかなこと。火にくるまれた銀は熱いはずだけれども、心地よさげにみえ。
火のなかの銀をのぞきこむ健次郎さんは、打つときの厳しい表情とはべつの、赤ちゃんをとりあげる助産師のような気配。とりあげた熱せられた銀を、満々と水をはった壺にいれるとジュっと音をたて、白い蒸気がのぼりました。熱し冷まされたこの銀を打ち、形をうみだします。
工房は地球。大気、火、水とともにあり、地球のかけらである鉱物から人が、用のものをつくりだします。
あらたな年の始まりにふいごを動かし、この輪をまのあたりにし、清々しい心地です。
月曜日の昼ご飯係り、はるか
~ 追伸 ~
なお、このあと沖縄は首里にある工房中に舞い降った粉雪のような灰を、お弟子さんたちでせっせと掃除しました。その様子をみていた健次郎さんは、「むかしの工房は、外みたいなもんだったからな」と。来年は、ほっかむりをしようかな。
2011年11月29日
女子高校生の皆さんから届いた感想文
17歳、それとも18歳なのかな、
先日、工房を訪ねてくださった浦添工業高等学校の生徒さんたちから、
感想文が届きました。
今日は、
彼女たちが感じたこと、
彼女たちの言葉を、ご紹介させていただきます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
想像していたのとは全くちがって可愛いデザインのものばかりで驚きました!
500年もの歴史があるとはとても思えませんでした。結び指輪欲しいです。
(糸数レイナさん)
新しいものばっかりじゃんくて、
古いものを大切にすることは素敵なことだというのが分かりました。
(小嶺柚衣さん)
何百年前の物を、形そのままに今作ってるってとってもすごい事だと思う。けんじろうさんみたいに残していく人達が居ないとどんどん歴史が伝えれなくなってしまうし消えてしまう。それはさみしい事だから、けんじろうさんみたいな人がもっともっと増えたら良いです。弟子にさせて下さい。 (西平萌恵さん)

ジーファー、結び指輪の歴史とか知れてよかったです。作っているところとか、ジーファーとかみてすごいし、きれいでかわいかったです。また行きたいです。 (松原雅さん)
予想よりも工房が大きくなくて、作業中の音(リズム)とか、工房と、造っている人達の雰囲気、その場の雰囲気が、心地いい感じがしました。一つ一つを人間の手でつくり上げていくことに感動したし、何をみてもキレイで、一つ一つの存在感が凄かったです。 (花城実奈さん)
歴史や伝統を変えず引き継いでいてすごい! とてもむずかしそうでこまかいのに、みんなキレイなものばかりだった。お父さんの話もなんだか感動しました。 (濱崎友香さん)
色々な細かい作業があり、私には真似できないなぁと思いました。でも、どれも一つ一つがすてきな作品で、これからもあり続ける伝統工芸であってほしいです。健次郎さんもとても優しくて可愛い人で又、会いに行きたいと思いました。 (外間槙さん)
またよしさんの話を聞いて、人生について考えさせられました。リズムの音とか、とてもここちよかったです。カン吉君にもよろしくどうぞ。 (山里春華さん)

戦争が終わってしまった後に、各地域にあった金細工もなくなりかけてしまっていても、又吉さんのお父さんや又吉さんの、この金細工にかける思いの強さで復活することができた金細工を、職人も、それを身につける沖縄の人も、大事にしていくべきだなと感じました。 (與那嶺奈々さん)
作品の1つ1つが世界にひとつだけのもので、その1つ1つに、愛をもってつくっていく。作品づくりで1番大切だと思うこともあらためて感じました。私が結婚したとき、又吉さんのつくったゆびわ買いたいです。 (入嵩西麻衣さん)
房指輪の1つ1つの形に意味があって、どれもとってもキレイだなって思いました。指輪だけでなくて、ピアスもあって花の形のピアスが可愛くて欲しくなりました。これからもずっとずっと続いていってほしいなって思いました。 (後野彩花さん)
金細工って何だろうと思っていました。金細工またよしに着くまで想像してみましたが結局思いつかず、どんなものかすごく楽しみでした。着いて作品を見てみると、沖縄の伝統そのものを現したかのような工芸品でとても驚きました。 (佐久本希さん)
とってもかわいい金細工ばかりで、素直に、ジーファー買いたくなりました!このたたいてする作業の時の音が好きになりました。自分で作ってみたくなったし、普段から使ってみたいです。 (玉城鈴さん)
金細工をつくるには色々な技術と長年つちかってきた感覚が大事だんだと思いました。年々後継者が少なくなっていると聞き、とても悲しくなりました。「金細工」というものをみんなに知ってほしいと思いました。 (玉城あつきさん)
作るのにあんなに手間もかかって、時間もかかるって大変だなと思いました。沖縄で最後の場所で終わらすんでなく、これから広めてほしいです! 弟子さん達も、又吉さんみたいな職人になって沖縄に広めてほしいです。 (仲村愛さん)

こんなに素晴らしい伝統工芸と、工房があるのに、今まで全く知らなかったことを後悔しました。婚礼指輪として房指輪を贈ることや、女の子が生まれたらジーファーを誕生祝いとして贈るなど金細工が沖縄の人の生活の中でなじみのあるものになれば素敵だと思います。 (仲本鈴那さん)
昔とかわらない金細工をつくるように心がけていて、それをつくるにも、リズムがあるなどと、細かい作業が多く、すごいなと思いました。金細工は女性のぶんしんと言われていることも知りました。なかでも気になったのが、説明ではありませんでしたが、まがたまがあったことにも興味を持ちました。
(當眞かのこさん)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
感想、ありがとうございました。
楽しく、うれしく読ませていただきました。
またぜひ、工房を訪ねていらしてくださいね。

先日、工房を訪ねてくださった浦添工業高等学校の生徒さんたちから、
感想文が届きました。
今日は、
彼女たちが感じたこと、
彼女たちの言葉を、ご紹介させていただきます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
想像していたのとは全くちがって可愛いデザインのものばかりで驚きました!
500年もの歴史があるとはとても思えませんでした。結び指輪欲しいです。
(糸数レイナさん)
新しいものばっかりじゃんくて、
古いものを大切にすることは素敵なことだというのが分かりました。
(小嶺柚衣さん)
何百年前の物を、形そのままに今作ってるってとってもすごい事だと思う。けんじろうさんみたいに残していく人達が居ないとどんどん歴史が伝えれなくなってしまうし消えてしまう。それはさみしい事だから、けんじろうさんみたいな人がもっともっと増えたら良いです。弟子にさせて下さい。 (西平萌恵さん)
ジーファー、結び指輪の歴史とか知れてよかったです。作っているところとか、ジーファーとかみてすごいし、きれいでかわいかったです。また行きたいです。 (松原雅さん)
予想よりも工房が大きくなくて、作業中の音(リズム)とか、工房と、造っている人達の雰囲気、その場の雰囲気が、心地いい感じがしました。一つ一つを人間の手でつくり上げていくことに感動したし、何をみてもキレイで、一つ一つの存在感が凄かったです。 (花城実奈さん)
歴史や伝統を変えず引き継いでいてすごい! とてもむずかしそうでこまかいのに、みんなキレイなものばかりだった。お父さんの話もなんだか感動しました。 (濱崎友香さん)
色々な細かい作業があり、私には真似できないなぁと思いました。でも、どれも一つ一つがすてきな作品で、これからもあり続ける伝統工芸であってほしいです。健次郎さんもとても優しくて可愛い人で又、会いに行きたいと思いました。 (外間槙さん)
またよしさんの話を聞いて、人生について考えさせられました。リズムの音とか、とてもここちよかったです。カン吉君にもよろしくどうぞ。 (山里春華さん)
戦争が終わってしまった後に、各地域にあった金細工もなくなりかけてしまっていても、又吉さんのお父さんや又吉さんの、この金細工にかける思いの強さで復活することができた金細工を、職人も、それを身につける沖縄の人も、大事にしていくべきだなと感じました。 (與那嶺奈々さん)
作品の1つ1つが世界にひとつだけのもので、その1つ1つに、愛をもってつくっていく。作品づくりで1番大切だと思うこともあらためて感じました。私が結婚したとき、又吉さんのつくったゆびわ買いたいです。 (入嵩西麻衣さん)
房指輪の1つ1つの形に意味があって、どれもとってもキレイだなって思いました。指輪だけでなくて、ピアスもあって花の形のピアスが可愛くて欲しくなりました。これからもずっとずっと続いていってほしいなって思いました。 (後野彩花さん)
金細工って何だろうと思っていました。金細工またよしに着くまで想像してみましたが結局思いつかず、どんなものかすごく楽しみでした。着いて作品を見てみると、沖縄の伝統そのものを現したかのような工芸品でとても驚きました。 (佐久本希さん)
とってもかわいい金細工ばかりで、素直に、ジーファー買いたくなりました!このたたいてする作業の時の音が好きになりました。自分で作ってみたくなったし、普段から使ってみたいです。 (玉城鈴さん)
金細工をつくるには色々な技術と長年つちかってきた感覚が大事だんだと思いました。年々後継者が少なくなっていると聞き、とても悲しくなりました。「金細工」というものをみんなに知ってほしいと思いました。 (玉城あつきさん)
作るのにあんなに手間もかかって、時間もかかるって大変だなと思いました。沖縄で最後の場所で終わらすんでなく、これから広めてほしいです! 弟子さん達も、又吉さんみたいな職人になって沖縄に広めてほしいです。 (仲村愛さん)

こんなに素晴らしい伝統工芸と、工房があるのに、今まで全く知らなかったことを後悔しました。婚礼指輪として房指輪を贈ることや、女の子が生まれたらジーファーを誕生祝いとして贈るなど金細工が沖縄の人の生活の中でなじみのあるものになれば素敵だと思います。 (仲本鈴那さん)
昔とかわらない金細工をつくるように心がけていて、それをつくるにも、リズムがあるなどと、細かい作業が多く、すごいなと思いました。金細工は女性のぶんしんと言われていることも知りました。なかでも気になったのが、説明ではありませんでしたが、まがたまがあったことにも興味を持ちました。
(當眞かのこさん)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
感想、ありがとうございました。
楽しく、うれしく読ませていただきました。
またぜひ、工房を訪ねていらしてくださいね。

2011年11月19日
沖縄県立浦添工業高等学校
首里にも秋の涼しさがやってくる、
そのほんの少し前のこと。
11月1日と2日「金細工またよし」に、
沖縄本島の高校生たちが訪ねてきてくれました。
沖縄県立浦添工業高等学校の生徒さんたちです。

房指輪を手にとり、
「見た印象よりも軽いね」と、女学生たち。


指にはめ、
にっこり
2日目にいらした生徒さんたちのなかには、
琉装をしたことがある、という方はいらっしゃいませんでした。
ですから、結いあげた髪にジーファーをさしたことがある方はいませんでした。
房指輪をつけたことがあるという方も、
いらっしゃいませんでした。
でもいつか、
どういう形でかは誰も知る由はありませんが
今回いらした彼女たちの指に
この指輪がふたたび触れ揺れることがあったなら
人生のどこかの1ページに寄り添うことがあったなら
素敵だなと思いをめぐらすのです。
そうして、
匁ばかりを手に、
生徒たちに語りかける師匠。

みんな真剣。
銀を溶かしてみましょうね、と師匠。

火のなかで銀を扱う師匠の手元をみつめる
彼女たちの真剣なまなざしは、
なによりの宝物。


いまは、2011年の秋。
首里城に王が君臨する時代の
この街を歩いていた琉装姿の女たちから、
それぞれの青春を謳歌する現代の女子高生たちまで
背景こそ変わりはするものの
人の思いは変わらず
そうゆうなか房指輪や結び指輪
そしてジーファーが受け継がれ
息づき続けることを願う爽やかな午後となりました。
またぜひ、
遊びにいらしてくださいね。

若い息吹の、はなやいだ雰囲気が工房に充満。
明るい未来をみるおもいです。
当工房では、かねてから見習い募集中。
ウチナンチュで通勤の出来る方、男女問わず。
興味のある方は見学かたがた、お訪ね下さい。
住所:那覇市首里石嶺町2-23-1
TEL/FAX 098-884-7301
そのほんの少し前のこと。
11月1日と2日「金細工またよし」に、
沖縄本島の高校生たちが訪ねてきてくれました。
沖縄県立浦添工業高等学校の生徒さんたちです。

房指輪を手にとり、
「見た印象よりも軽いね」と、女学生たち。


指にはめ、
にっこり
2日目にいらした生徒さんたちのなかには、
琉装をしたことがある、という方はいらっしゃいませんでした。
ですから、結いあげた髪にジーファーをさしたことがある方はいませんでした。
房指輪をつけたことがあるという方も、
いらっしゃいませんでした。
でもいつか、
どういう形でかは誰も知る由はありませんが
今回いらした彼女たちの指に
この指輪がふたたび触れ揺れることがあったなら
人生のどこかの1ページに寄り添うことがあったなら
素敵だなと思いをめぐらすのです。
そうして、
匁ばかりを手に、
生徒たちに語りかける師匠。

みんな真剣。
銀を溶かしてみましょうね、と師匠。

火のなかで銀を扱う師匠の手元をみつめる
彼女たちの真剣なまなざしは、
なによりの宝物。

いまは、2011年の秋。
首里城に王が君臨する時代の
この街を歩いていた琉装姿の女たちから、
それぞれの青春を謳歌する現代の女子高生たちまで
背景こそ変わりはするものの
人の思いは変わらず
そうゆうなか房指輪や結び指輪
そしてジーファーが受け継がれ
息づき続けることを願う爽やかな午後となりました。
またぜひ、
遊びにいらしてくださいね。

若い息吹の、はなやいだ雰囲気が工房に充満。
明るい未来をみるおもいです。
当工房では、かねてから見習い募集中。
ウチナンチュで通勤の出来る方、男女問わず。
興味のある方は見学かたがた、お訪ね下さい。
住所:那覇市首里石嶺町2-23-1
TEL/FAX 098-884-7301
2011年01月29日
うちなーいなぐ

1月25日、昨年の8月15日、
終戦記念日以来
久しぶりに、こっこさんの「沖縄タイムス・ライブ・アット・桜坂劇場」
を最後列の左最端でぞんぶんに心を展げて観せてもらいました。
黒と茜色の舞台セットで、躍動する琉球國祭り太鼓の跳ね上がる音響。
そして会場によく透るこっこさんの<歌ぐくる>。
三味線の余韻嫋々の音色もよかった。
何もかもひっくるめて、感激大でした。

元気なこっこさん、ありがとう、でした。
2010年12月25日
メリークリスマス

おひさしぶりです!
更新がとまってしまってごめんなさい。気づけばもう年末ですね。
少し早いですが来年のお話など…
来年の1月15日の「世界ふしぎ発見!」で視聴者プレゼントとして
房指輪が登場しますので、ぜひご覧ください。
今年もいろんな方々が工房に来てくださり、カン吉も大喜びです!
冷え込んできましたが、お体に気をつけてお過ごしください。
それでは皆様、Merry Xmas&A Happy New Year !
2010年08月28日
世界一周

こちらのお2人、実は先日工房にいらっしゃったお客様なのですが…
なんと、バイクで世界一周の旅をしているそうです!
旦那さんがイタリア人のマウリさん、奥さんがウチナーンチュのしずよさんです。
すでに20ヶ国を走っていらっしゃるそうで、見せていただいたアルバムにはそれぞれの国での旅の思い出がたくさんつまっていました。

興味深々の私たちに、アルバムから少しお話をしてくれましたが、
なんせイタリアから沖縄までバイクで旅をしているため、
一言二言で話尽くすことができるわけがありません。
そこで、お2人の旅の軌跡をみることができるブログがあると聞き、
覗いてみました。(マウリさんブログ)
マウリさんはイタリア語、しずよさんは日本語
それぞれの言葉で旅を綴っています
(イタリア語は読めませんでしたが・・・
)ブログをみていると、旅のおもしろさや驚きはもちろんのこと、
行く先々で出会う人々の親切、優しさに感動です。
きっと誰もがあこがれる、世界への旅を実現しているお2人と、
何よりお2人の控えめで優しい人柄に共感しているのでしょうね~
世界にはまだまだいっぱい素敵な出会いが待っているのですね~
10月にはこのお2人の旅の軌跡が本になってイタリアで出版されるそうです。
「また遊びに来ます」とおっしゃったお2人の言葉を信じて、ただひたすら旅の無事を祈るばかりです。

毎日毎日コツコツ同じ作業を繰り返す
この小さな工房にも、たくさんの出会いがあります。
マウリさん、しずよさんのように世界から、
日本各地から、いろんな職業、年齢の方々が
小さな金細工を求めていらっしゃいます。
今後、こうやっていろんなお客さまを紹介していきたいと思います。
2010年08月21日
トップ オブ ライフ

「沖縄タイムス 2010年8月20日掲載」
金細工またよしの叔父に誘われて
8月15日、沖縄コンベンションセンターで開催されたライブへ。
以前から大好きだったCoccoが出るとあって大阪から飛んで行きました。
イベントタイトルは「Forever Blue~かけがえのない未来のために~」。
この少々ぼんやりとしたテーマに蹴りを入れるように
かけがえのないのは、未来よりも今なんだと
Coccoは伝えていたように思います。
「私たちの今って、人生の最先端なんだ。
この一瞬はすぐに過去になるし、
『またね』と手を振って別れた人たちと、また会えるかどうかなんてわからない。
いつだって『Top of Life』なんだよ」と。
呪いのような「三村エレジー」、
海の向こうにもきっと届くに違いない「ニライカナイ」、
インントロと同時に心がぱっと明るく光った「強く儚い者たち」、
ひときわ気高いウチナーグチの「絹ずれ」…。
臨界点ぎりぎりまで全身全霊を声にして放たれた
毒を含んだ言葉ときらきらのメロディが
聴く人の心にダイレクトに届き、どんどん開かれていく。
何だか古代の儀式のような体験でした。

「8月11日発売アルバム『エメラルド』」
誰だって今、自分の人生の最先端を生きているけれど
Coccoはいつも切り立った崖っぷちのような超最先端にいる気がする。
そこでしか見れない風景を見るために。そこにしか咲かない花をつかむために。
その勇気や誇り高さや誠実さが本当に素晴らしくて、少し痛ましくて。
だからこそ、幼なじみでプロのピアニストの直子さんとの曲は
包み込むような優しさとあたたかさにあふれていて素敵でした。
そして、「Coccoは長生きするよ。一緒におばぁになるからね」
という言葉がうれしかった。
大阪から見ると、生命がむんむんと盛り上がっていく楽園みたいな島で
みんながおじぃ、おばぁになるまで一緒に楽しくくらせますように。
誇りを持って最先端を歩みながら、笑顔でいられますように。
ありがとうCocco。
(興南おめでとう!!)

「沖縄タイムス 8月21日号外」
(大阪から飛び入りの)KEIKO
2010年08月06日
わが御主
8月4日の沖縄タイムス朝刊の見出
【泡瀬埋め立て再開へ】
この件については裁判で天下にNO!の断をくだした、筈。
イケ面より人気のある予算の仕分けでもNO!をきめた、筈の、
埋め立て工事に、この度たくさんのお金がいただけることになった
経済団体さんも手のひらをかえし、双手をさしだした。
白洲次郎の「フリンシブル(筋)のない日本」の戦後史が
今、また実証された。


戦後65年の歳月と大自然の自浄力で、沖縄の沿岸には
“波の花咲き 黄金(こがね)・白金(しろがね)くだくる潮路”をみることが
できた、今ー


沖縄近海にはおびただしい数の微生物、魚、タコなど
おなじみの生きものたちが“地球の母のふところ”で生きている。
そして、私も生きている。人間たちも生きている。
生命体は森羅万象ひとしく輝いている。それが、“平等”を
本旨とする“天の配剤”であろう。
しかし、人間たちだけは違う。自然の掟に背を向けている。
それは人間が一番神に近い存在だから許されるという。
私は今日も槌音と同じリズムで自問自答をくりかえしている。
「人間だけが何故?」
そして、その晩の私の食卓には魚が……。
どうしたものか、それはCoccoが歌う<命どぅ宝>の「ニライカナイ」の神様が
答えてくれるだろう。
埋め立てる海は荒い。その波紋はやがて辺野古の
海にも達するだろう。
【泡瀬埋め立て再開へ】
この件については裁判で天下にNO!の断をくだした、筈。
イケ面より人気のある予算の仕分けでもNO!をきめた、筈の、
埋め立て工事に、この度たくさんのお金がいただけることになった
経済団体さんも手のひらをかえし、双手をさしだした。
白洲次郎の「フリンシブル(筋)のない日本」の戦後史が
今、また実証された。


戦後65年の歳月と大自然の自浄力で、沖縄の沿岸には
“波の花咲き 黄金(こがね)・白金(しろがね)くだくる潮路”をみることが
できた、今ー


沖縄近海にはおびただしい数の微生物、魚、タコなど
おなじみの生きものたちが“地球の母のふところ”で生きている。
そして、私も生きている。人間たちも生きている。
生命体は森羅万象ひとしく輝いている。それが、“平等”を
本旨とする“天の配剤”であろう。
しかし、人間たちだけは違う。自然の掟に背を向けている。
それは人間が一番神に近い存在だから許されるという。
私は今日も槌音と同じリズムで自問自答をくりかえしている。
「人間だけが何故?」
そして、その晩の私の食卓には魚が……。
どうしたものか、それはCoccoが歌う<命どぅ宝>の「ニライカナイ」の神様が
答えてくれるだろう。
埋め立てる海は荒い。その波紋はやがて辺野古の
海にも達するだろう。
沖縄のことわざ
物を与えてくれる人が 私の御主人様だ
ありがたや ありがたや
『物呉しっどぅ わが御主』
―むぬくいしどぅ わが うすう―
―むぬくいしどぅ わが うすう―
物を与えてくれる人が 私の御主人様だ
ありがたや ありがたや
2010年07月29日
琉歌とジーファー

―この琉歌を再読、再々読してみてください―
水墨画の女心が揺れています
水墨画の女心が揺れています
乱れ髪であっても、どうして梳くことができようか。
恋しいお方の手枕のなさけなのだから……。
艶かしい歌である。朝、鏡を覗いた。髪が乱れている。しかし、どうして、それに櫛(くし)をとおすことができようか。この乱れ髪には、あのお方の手枕の情けがこもっているのだから……。
黒く艶やかな髪は女性美の象徴であった。結いあげたカラジに銀のジーフヮー(髪挿し)は美しい。その髪が乱れている。しかし、それが恋しいお方との一夜手枕のあとであれば、どうして梳く(すく)ことができようか。鏡の中に櫛を手にした自分の姿を見る女性。堰(せき)を切った奔琉のような激しい心情を見る思いがする。
これは遊女の作ではない。摩文仁朝信妻作とある。摩文仁という姓、「朝」の名乗頭から御殿殿内(うどぅんどぅんち)の妻女である。歌を詠むのに、さむらい、百姓の区別はなかった。それぞれが、人間としての思いが、歌になるのだ。人間すべてが歌人なのだ。
金属文化の“粋”銀のジーファーにはウチナーイナグ(沖縄の女)の分身、その想いが
造形の線で単一的にえがかれています
造形の線で単一的にえがかれています
艶なるうなじ うりざね顔

挿画 船越弘子
奇妙な世の中になり、情緒欠乏症の人間が多くなったと言われていますが、「魂の砂漠化」は避けたいものです。このあたりで、先人が詠んだ恋歌を味わい、心の潤いを豊かにしても、世の中の妨げにはならないと思います。
2007年2月 船越義彰
船越義彰 ニライ社 発行
「琉歌・恋歌の情景」より
「琉歌・恋歌の情景」より
2010年07月14日
音汚し

Coccoさんの感性が弾きだした言葉が飛んできて私の掌にある。
そのなかの<お耳汚し>のタイトルが何とも気になった。その反應で
<音汚し>、つまり金細工の“音”が汚れていないだろうか、考えてみた。
ある染色家の言葉を思い出した。
「染色はもう昔には還らない。何故なら、今の空気や水が汚れて
いるから。その前に、桑の葉が汚れていて、それを食する
蚕自体の体質が変わっているから、その生糸は昔にもどれない」
私は父祖を偲ぶ時、ふと幻想をみ、幻聴をきくことがある。
ありえないことだけど、もし、“純銀”の金床を“純金”の金槌で
打つと、その音は

太陽に響いていくだろう。
もし、“純金”の金床を“純銀”の金槌で打つと、その音は

満月に響いていくだろう。
金細工の“音”は汚れていない。銀線1本、銀板1枚、
銀の輪1個をたんねんに研磨しているのが常だから。
当年19才の女性の弟子はていねいに磨いて、一点の曇りもなく、
心優しい仕上がりだ。

王朝時代の金細工は王冠、神事の酒器、たんすの飾りなど、
金、銀、銅、鍋の金属文化をすべて手がけていたから
さぞや、けんらんたる存在だっただろう。
今はもちろん昔ほどのことではない。昔を伝えるのは此処で
わずかにその形をとどめている。
ここ数年来、金細工の“音”は
風韻、風趣の世間の風に乗りきれず、そのコダマは
ほとんど返ってこない。
仕事の量は匁計(もんめばかり)で計れるぐらいの量である。
でも時代にとり残されようと、職人の心は昔と変わらない、と
思っている。クリーンな音をだしつづけることで
沖縄から伝承の、銀の韻律が消えることはないだろう。
「時が解決すると想ったら大間違いだ。
なんくるならんことも全部、私は
歌うからね、大きな声で。
どこに逃げたって聞こえるように。
耳を塞げないぐらい綺麗な声でさ。」
なんくるならんことも全部、私は
歌うからね、大きな声で。
どこに逃げたって聞こえるように。
耳を塞げないぐらい綺麗な声でさ。」
7月6日沖縄タイムス「こっこタイム」
沖縄のことわざ
『言葉銭遣い』
『言葉銭遣い』
-ことば じんじけい-
言葉はお金と同じで、使い方によって
人のため、自分のためになり
価 千金である
人のため、自分のためになり
価 千金である
2010年07月07日
築230年

「寄贈された北古味可葉氏の森羅万象を結ぶ大書“結”」
この春、世界で日本の書道を個展する前衛の書道家、
北古味可葉さんから、高知県で「金細工(くがんぜーく)展」を
やりましょう、とおさそいの電話をいただいた。
地図をひろげてみると、
空路は、島々を超え、海を渡る長い線で結ばれている。
北のみちのくより遠くに思え、ただ見るだけの地図の上の四国。
とてもとても足を運べる所とは思えなかったが、NHK放映の”龍馬伝”と相俟って、
「竜馬がゆく」の小説の道筋が「俺もゆく」の道筋にかわってきた。
この6月のつゆ明け(高知はつゆ入り)に、遂に重い腰をあげることになった。

高知県高岡郡佐川町にある国の重要文化財の竹村家。
江戸後期には苗字帯刀を許された屈指の酒造業を営んでいたという。
築二百三十年といえば、「金細工またよし」の祖、
「唐行またよし」がまだ存在しなかった時代だから、七代目の私には想像もできない旧家。
一歩も足を踏みこめない。古い時間のとてつもない重さに、
ひたいを押されたままの私を北古味さんの笑顔が迎えてくれた。
「ようこそ、スタジオ可葉へ!」
二百三十年前に建てられた伝統の意匠の座敷の中、
琉球に伝わる銀細工が展示されている。
それらは、かすかに銀色の韻律を奏え、いじらしいほど、慎ましく、
ひそかな調和をたもっている。伝統の中での、伝統との出会い。
あゝ来てよかった!

(縁を結ぶ糸には めでたい光がかがやき
七重、八重の絆は平和のしるし)
七重、八重の絆は平和のしるし)
そして、その夜、中国の二胡と オーストラリアのディジュリドゥが
展示会を祝ってくれた

えま・慧奏さんのお二人は国の重要文化財でもある白壁土蔵の古い酒蔵の中で、
始めて聞く、観る人の期待を集めて演奏された。
慧奏さんのオーストラリアの木管楽器ディジュリドゥは長い管に口を当て、
唇の振動で音をだす。ディ・ジュ・リドゥにきこえるというその異国の音が、
空気をふるわせ、太古にいざなう音楽となり、それにしみこむように、
中国の情緒的な二胡の七色の音がとけこんでいき、場内の感動を一つにする。
このお二人の絶妙な”間 ”の演奏で、モンゴルの歌、
琉球民謡・童謡が歌われて、もりあがった。ところで、いきなり
二胡の弦が 『ハッピ バースデイ トゥーユー』 を
かなでた。6月25日79回目の私の誕生日を
祝ってくれたのには驚いた。胸を熱くした。そして
鳴りやまぬ拍手でフィナーレの「ふる里」が
演奏され合唱となり、お客の皆さんが心を残して終演となった。
あゝ、やっぱり来てよかった!
かくて、金細工の展示、二胡のライブの、
”竜馬の里へ ”の旅はめでたし、めでたしのハッピーエンド。

(今日の嬉しさは 何にたとえようか
蕾の花が 露をふくだような幸せ)
蕾の花が 露をふくだような幸せ)
この旅は、生の歴史に触れ、語る伝統を知り、
海のその向うの人々との出会いなど、大変貴重な体験となった。
放てば手に満つ!旅に出て己を解放して
得た充足感をからだいっぱいに感じ
余韻の帰路についた
2010年06月19日
風樹館
先日、琉球大学の『風樹館』へ行ってきました。

煉瓦造りの一風変わった建物、
ここには、沖縄の生物や植物、工芸品など様々なものが
標本・資料として展示されています。
またよしのジーファー、房指輪なども展示されており
ここの館長であり、名物?の佐々木先生は、沖縄の全てを知り尽くした
(と言っても過言ではないくらい。。)物知りの楽しい先生で、
金細工またよしも、とってもお世話になっているのです。
中へ入ると、まず、なんとも言えない不思議な匂いが。。。
懐かしい、理科室のような匂いです。
佐々木先生に案内してもらいながら中に入ると、
いきなりジュゴンの剥製が!


佐々木先生によるとまだ子供のジュゴンなんだそうです。
他にもジュゴンの骨やイリオモテヤマネコなどの珍しい動物の剥製もあり、
その迫力に驚きつつ金細工のコーナーへ…


ここには六代目・又吉誠睦さんのジーファーや、開南の又吉誠仁さんの辻ジーファーなど、
工房でも見ることのできない作品などが展示されています。
貴重なものに私たち2人も感動し、改めて金細工の歴史の長さを感じました。
広い館内も佐々木先生の面白い解説であっという間に全てのスペースをまわりきってしまい、
最後に案内してくださったのが風樹館のお庭でした。
なんとそこには…かわいい島やぎが!

名前はさつきちゃん。
風樹館には何頭かやぎがいて、農学部の生徒さんがお世話をしているそうです。
とても人懐こく、ずっと佐々木先生の後をついていく姿にとても癒されました~。
茶色い毛は島やぎの特徴で、あまり大きくはならないのだそうです
さつきちゃんも、カン吉よりも少し小さい位で、
連れて帰って工房で飼いたいくらい私たちはさつきちゃんに
心を奪われてしまったのでした。
でもきっとカン吉がやきもちを焼くはずですね。。。
工房のアイドルはカン吉ですから!
この庭も、沖縄独特の個性ある植物がたくさん植えられていて、
本当に沖縄の庭は生き生きとしていてきれいです。
大学の中だということを忘れてしまうような緑に囲まれた居心地のよさです。
沖縄には私たちがまだまだ知らないものが、たくさんあるのだと
いうことに気がつきました。
金細工ももっとたくさんの人に知ってもらえるよう、
私たちもがんばろう。。。。
さつきちゃんの鳴き声に心ひかれながら、風樹館を後にしました。

煉瓦造りの一風変わった建物、
ここには、沖縄の生物や植物、工芸品など様々なものが
標本・資料として展示されています。
またよしのジーファー、房指輪なども展示されており
ここの館長であり、名物?の佐々木先生は、沖縄の全てを知り尽くした
(と言っても過言ではないくらい。。)物知りの楽しい先生で、
金細工またよしも、とってもお世話になっているのです。
中へ入ると、まず、なんとも言えない不思議な匂いが。。。
懐かしい、理科室のような匂いです。
佐々木先生に案内してもらいながら中に入ると、
いきなりジュゴンの剥製が!
佐々木先生によるとまだ子供のジュゴンなんだそうです。
他にもジュゴンの骨やイリオモテヤマネコなどの珍しい動物の剥製もあり、
その迫力に驚きつつ金細工のコーナーへ…


ここには六代目・又吉誠睦さんのジーファーや、開南の又吉誠仁さんの辻ジーファーなど、
工房でも見ることのできない作品などが展示されています。
貴重なものに私たち2人も感動し、改めて金細工の歴史の長さを感じました。
広い館内も佐々木先生の面白い解説であっという間に全てのスペースをまわりきってしまい、
最後に案内してくださったのが風樹館のお庭でした。
なんとそこには…かわいい島やぎが!
名前はさつきちゃん。
風樹館には何頭かやぎがいて、農学部の生徒さんがお世話をしているそうです。
とても人懐こく、ずっと佐々木先生の後をついていく姿にとても癒されました~。
茶色い毛は島やぎの特徴で、あまり大きくはならないのだそうです
さつきちゃんも、カン吉よりも少し小さい位で、
連れて帰って工房で飼いたいくらい私たちはさつきちゃんに
心を奪われてしまったのでした。
でもきっとカン吉がやきもちを焼くはずですね。。。
工房のアイドルはカン吉ですから!
この庭も、沖縄独特の個性ある植物がたくさん植えられていて、
本当に沖縄の庭は生き生きとしていてきれいです。
大学の中だということを忘れてしまうような緑に囲まれた居心地のよさです。
沖縄には私たちがまだまだ知らないものが、たくさんあるのだと
いうことに気がつきました。
金細工ももっとたくさんの人に知ってもらえるよう、
私たちもがんばろう。。。。
さつきちゃんの鳴き声に心ひかれながら、風樹館を後にしました。

2010年06月10日
展示会のお知らせ
高知で展示会をすることになりました!!

☆場所:『スタジオ可葉』
お問い合わせ:tel:0889-22-0623 住所:高知県高岡郡佐川町甲1300
☆日にち6月19日(土)・20日(日)
☆ライブ:6月19日 PM19:00~
二胡の演奏 『えま(うた,gt,二胡)&慧奏(piano,perc.etc.)』
会場は、呉服商を営んでいた重厚な蔵造りの商家で、
現在は書家・北古味可葉さんのスタジオとして使われています。
会期中は、師匠「又吉健次郎」も会場に居りますので
お近くの方はぜひぜひ遊びにいらしてください。




北古味可葉書
☆場所:『スタジオ可葉』
お問い合わせ:tel:0889-22-0623 住所:高知県高岡郡佐川町甲1300
☆日にち6月19日(土)・20日(日)
☆ライブ:6月19日 PM19:00~
二胡の演奏 『えま(うた,gt,二胡)&慧奏(piano,perc.etc.)』
会場は、呉服商を営んでいた重厚な蔵造りの商家で、
現在は書家・北古味可葉さんのスタジオとして使われています。
会期中は、師匠「又吉健次郎」も会場に居りますので
お近くの方はぜひぜひ遊びにいらしてください。
2010年05月20日
こっこのおじいさん
5月15日 PM6:00 舞台美術の平良美樹君のご招待で
沖縄芝居見学することになり、土砂を跳ね上げる雨の中
道すがら車の中で、昔、そのまた昔のウチナー芝居を思い出す。
北の本部町には、壁の落剥した芝居小屋、南の港川にも
時代にとり残された、どさ巡りの小屋があった。
楽屋裏では、二合瓶が転がっていて、役者さん達が台本なしの立ち稽古、
あねえあらん、かんどうやる(そうじゃあない こうだよ)
と、手とり足とりののんびりした風景がのぞかれた。
那覇劇場では、公設市場のアンマー、おばあ達が、
その時、その日の上り(売上げ)を“花”に、ごひいき筋の袖に届けたと云う
仕切り座敷から花道への掛け声、観る人、演ずる人との
あうんの呼吸の掛け声など、いかにも庶民の芝居だった。
そんなこと、あんなことモノクロ影絵を思い出しながら・・・・・・

これは驚き!さすが“国立”の名の、豪気なものだ!!
観客を抱き込むような空間。目がくらむ。
踊りの<金細工>の加那兄(かなーふぃ)なら、
お抱えのふいご、金床の質草をおっぽりだして逃げ出したことだろう。

<てんさぐの花>は今日の芝居の演題であり、パンフレットには
「名優 眞喜志康忠の心にしみる人情芝居 沖縄版<無法松の一生>とある


50年ほど前、当時<ときわ座>の座長だった眞喜志康忠さんが
新国劇の<無法松の一生>を翻案し、演出・主演したのが
<てんさぐの花> その頃の新国劇には
侘び・寂びの島田正吾、豪放らいらくの辰巳柳太郎という両優がいて
その二人の個性を併せもった役者が眞喜志康忠さんだったように思われた。
この物語には琉球王国から大和世への世替りの世相が描かれている
下町の暴れん坊<松ちゃ>が首里の士族の妻<眞鶴>を
生涯通して一途に思い続けた人情劇。

移りゆく時の中で、一途に眞鶴を恋慕うだけ
ひとり時代にとり残され、枯れすすきのように
わびしい老後を迎えることになるが・・・

劇の終には幼馴染だった女性が手をさしのべ
抱きかかえられて終幕となった。
主役の大田守邦さん 有難う。
あなたの実直な演技を通して曾ての眞喜志康忠さんを
偲ぶことができました。
昔と今を往き来する老いの感傷で ついほろりとしましたが、
ウチナー口が腹いっぱい堪能できました。
国立劇場おきなわ
百花繚乱の6月が楽しみです

こっこファンからいただいたお電話
「こっこのおじいさん、お元気ですか」
こっこのお姉さんが答えました。
「元気ですよ」

沖縄芝居見学することになり、土砂を跳ね上げる雨の中
道すがら車の中で、昔、そのまた昔のウチナー芝居を思い出す。
北の本部町には、壁の落剥した芝居小屋、南の港川にも
時代にとり残された、どさ巡りの小屋があった。
楽屋裏では、二合瓶が転がっていて、役者さん達が台本なしの立ち稽古、
あねえあらん、かんどうやる(そうじゃあない こうだよ)
と、手とり足とりののんびりした風景がのぞかれた。
那覇劇場では、公設市場のアンマー、おばあ達が、
その時、その日の上り(売上げ)を“花”に、ごひいき筋の袖に届けたと云う
仕切り座敷から花道への掛け声、観る人、演ずる人との
あうんの呼吸の掛け声など、いかにも庶民の芝居だった。
そんなこと、あんなことモノクロ影絵を思い出しながら・・・・・・

これは驚き!さすが“国立”の名の、豪気なものだ!!
観客を抱き込むような空間。目がくらむ。
踊りの<金細工>の加那兄(かなーふぃ)なら、
お抱えのふいご、金床の質草をおっぽりだして逃げ出したことだろう。

<てんさぐの花>は今日の芝居の演題であり、パンフレットには
「名優 眞喜志康忠の心にしみる人情芝居 沖縄版<無法松の一生>とある


眞喜志康忠著「沖縄芝居と共に-老役者の独り言」(2002年・㈱新報出版発行)より
50年ほど前、当時<ときわ座>の座長だった眞喜志康忠さんが
新国劇の<無法松の一生>を翻案し、演出・主演したのが
<てんさぐの花> その頃の新国劇には
侘び・寂びの島田正吾、豪放らいらくの辰巳柳太郎という両優がいて
その二人の個性を併せもった役者が眞喜志康忠さんだったように思われた。
この物語には琉球王国から大和世への世替りの世相が描かれている
下町の暴れん坊<松ちゃ>が首里の士族の妻<眞鶴>を
生涯通して一途に思い続けた人情劇。

(ままならない恋と知りながらも
どうしてこの胸のうちは こうも苦しいんだろう。)
どうしてこの胸のうちは こうも苦しいんだろう。)
移りゆく時の中で、一途に眞鶴を恋慕うだけ
ひとり時代にとり残され、枯れすすきのように
わびしい老後を迎えることになるが・・・

(世の中というものは 川の流れのようなもの
夢の間であるけれど 互いに語らい浮世を渡りましょう)
夢の間であるけれど 互いに語らい浮世を渡りましょう)
劇の終には幼馴染だった女性が手をさしのべ
抱きかかえられて終幕となった。
主役の大田守邦さん 有難う。
あなたの実直な演技を通して曾ての眞喜志康忠さんを
偲ぶことができました。
昔と今を往き来する老いの感傷で ついほろりとしましたが、
ウチナー口が腹いっぱい堪能できました。
国立劇場おきなわ
百花繚乱の6月が楽しみです

こっこファンからいただいたお電話
「こっこのおじいさん、お元気ですか」
こっこのお姉さんが答えました。
「元気ですよ」

『「てんさぐの花」
公演おめでとうございます
眞喜志康忠の孫 Coccoより』
公演おめでとうございます
眞喜志康忠の孫 Coccoより』
2010年05月07日
回想
1950年代に、沖縄に「珊瑚礁同人」という若い詩人たちがいた
―今はみな鬼籍の人。
そのひとり、池田和氏は走り書で詩をつづった。


一号線とは今の国道58号線のことである。
20代の若さで首里から嘉手納まで、ぶらぶら徒歩で行ったものである。
<有刺鉄線>で張り巡らされた嘉手納飛行場が象徴されるように
島全体が基地であり
東洋一の巨大要塞と云われた。
その<有刺鉄線>を造るのも“人の手”であり、
それに刺され痛いおもいをするのも“人の手”である。
胸を刺されたこの心象風景は半世紀過ぎた今でも時に戻ってくる。
回想その2
50年代の若い文学青年をとりこにしたのが
今流行りの太宰治である。
酒を飲み、おなごに惚れるのが太宰文学の神髄であると心得、
酔ったあげくの文学論は「丹羽文雄」を<タンバフミオ>
と呼び、口角泡をとばせたものです。
こんなこと、あんなこと、回想とは苦いもの、とも限りません
ブログに載せられない、回想録もいっぱいあります
愛よ愛々/かなよ かなかな
白砂の砂浜の向こうには まっさらな雲
なんじゃそりゃ?
世界に向けて揚げられた、白旗みたいじゃあないか
まだ負けちゃいない
降伏が、平和への賢明な道だなんて
想わない
あんな雲、引きずり下ろしてやる。
・・・・・

―今はみな鬼籍の人。
そのひとり、池田和氏は走り書で詩をつづった。

一号線
・・・・・
何のためにつくられたか
誰のためにつくられたか
・・・・・
この道路の向うには
一体何があるのだろうか
兵舎・飛行機があるのだろうか
山河荒果てた古里が
基地という真名板に載せられて
てんでんばらばらに裂かれてあるからか
・・・・・
愛犬を喪った少女みたいに
雨の一号線に濡れてたたずんで
重機を運ぶ無数のGMCの湿った爆音を
何故俺は
黙って聞かねばならないのだ
・・・・・
何のためにつくられたか
誰のためにつくられたか
・・・・・
この道路の向うには
一体何があるのだろうか
兵舎・飛行機があるのだろうか
山河荒果てた古里が
基地という真名板に載せられて
てんでんばらばらに裂かれてあるからか
・・・・・
愛犬を喪った少女みたいに
雨の一号線に濡れてたたずんで
重機を運ぶ無数のGMCの湿った爆音を
何故俺は
黙って聞かねばならないのだ
(1955年10月・池田和)

一号線とは今の国道58号線のことである。
20代の若さで首里から嘉手納まで、ぶらぶら徒歩で行ったものである。
<有刺鉄線>で張り巡らされた嘉手納飛行場が象徴されるように
島全体が基地であり
東洋一の巨大要塞と云われた。
その<有刺鉄線>を造るのも“人の手”であり、
それに刺され痛いおもいをするのも“人の手”である。
胸を刺されたこの心象風景は半世紀過ぎた今でも時に戻ってくる。
回想その2
50年代の若い文学青年をとりこにしたのが
今流行りの太宰治である。
酒を飲み、おなごに惚れるのが太宰文学の神髄であると心得、
酔ったあげくの文学論は「丹羽文雄」を<タンバフミオ>
と呼び、口角泡をとばせたものです。
こんなこと、あんなこと、回想とは苦いもの、とも限りません
ブログに載せられない、回想録もいっぱいあります
愛よ愛々/かなよ かなかな
白砂の砂浜の向こうには まっさらな雲
なんじゃそりゃ?
世界に向けて揚げられた、白旗みたいじゃあないか
まだ負けちゃいない
降伏が、平和への賢明な道だなんて
想わない
あんな雲、引きずり下ろしてやる。
・・・・・
「2010年5月4日沖縄タイムス掲載<こっこタイム>より」
愛しい―いとしい、を愛しい―かなしいと読む
うちなー口。
私の好きな言葉です
うちなー口。
私の好きな言葉です
想い愛々と 今宵結ばれて
肝美らく花ん 咲かちたぼり
肝美らく花ん 咲かちたぼり
相思相愛で
今宵結ばれたふたり
どうか 心の美しい花を
咲かせてください
今宵結ばれたふたり
どうか 心の美しい花を
咲かせてください





